湧水町の県指定文化財
湧水町内の県指定文化財
銅 鏡
(有形文化財・工芸品、勝栗神社内)
銅鏡は御正体鏡(神社の本体)懸垂用具,奉納,献上,下賜などに使われました。勝栗神社でも祭神の浜下り行事のミコシに飾りつけていました。全部で26種類40面,うち和鏡28面,舶載鏡12面,大きさは直径24cm~8cmのものまであり,裏面には,草花,鳥,蝶,雀などの細彫がきざまれています。東南アジアで製造されたと見られる銅鏡もあり,貴重な文化財です。
般若寺の田の神
(有形民俗文化財、般若寺・日枝神社内)
明和9年(1772)に造られたもので,神像の型をしており,両手を輪状に合わせ,肩・袖・ひざなどが角ばっており,直線的であるのが特徴です。昔は「タノカンサァ,オットイ」というおもしろいならわしがあり,この田ノ神像もよそに盗まれたことがあるそうです。田ノ神像のおかげで豊作になったとき,そのお礼に米俵や焼酎などをそえて、いっしょに田ノ神像を返したそうです。
川西の庚申塔
(有形民俗文化財、川西・四ツ枝後)
60日に一度めぐってくる庚申の夜に,人間の体内にいる三尺(さんし)という虫が人が眠っている間に天にのぼって天帝にその人の悪事を報告するので,それを防ぐためにその夜は眠ることなく一心に祈念するという信仰が庚申の行事です。江戸時代に一般庶民の間でも盛んに行われました。吉松の庚申塔の特徴は両面を使用していることです。
稲葉崎の供養塔群
(記念物・史跡、稲葉崎)
南北朝前後の戦乱のころ,京都文化は難を逃れて地方に離散しました。比丘尼妙性・沙弥道性らの高僧もこの地に寺院を建立しその改修費として黄金一千両を埋め,そこで,霊場の地と畏怖畏敬され,黄金塔と語り継がれたとの伝説があります。また,中世栗野院に勢力を持った豪族,あるいは人吉の相良一族永留氏(永留氏の文様を持つ石塔が多い)の造立だという説もあります。また,密教の胎蔵金剛の大日如来の関連の資料を多く提供し,特に,イ字三点キリークの板碑は重要なものです。なお,大部分が逆修供養塔だという特徴を持ちます。
田尾原の供養塔群
(記念物・史跡、田尾原)
この卒塔婆群は個人宅の裏山で,墓地の周辺に多くありました。古来この一帯を塔之原と称していたことからも,いかに石塔が多かったかが分かります。ここに散在していた主なものを,昭和15年,集落青年団によって現在地に復元されました。また,屋敷裏の板碑に梵字最高の「オンの字」をその大家斉藤彦松氏(元同志社大学名誉教授)により発見されました。日本でも有数の貴重なものであるといわれています。
菩薩半跏像
(有形文化財・彫刻、恒次・ニ渡)
栗野地域二渡地内にあります。明治維新の廃仏毀釈によると思われる損傷が見られます。製作年代は,平安後期と推定され,作様からして,古代畿内地方の仏師による県内最古の仏像と推定されます。また,長禄(1457)より古い時代には,周辺に万福寺や西福寺もありました。