旧吉松町の歴史
年 | おもなできごと |
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文治年間 | 相模国山伏愛甲忠雄、鎌倉より当地に来る。 |
建久8年 | 図田帳に筒羽野48町5反云々とあり |
観応年中 | 足利尊氏当地に来り般若寺を本陣となす |
天正年間 | 島津義弘公、当郷を吉松と改む。 |
安政3年 | 鹿児島の漢学者西田嘉内を召し、読書、習字を授く。 |
明治元年 | 王政維新における吉松郷の制度は地頭、高崎兵部の行政により刷新される。 |
明治4年 | 仮屋邸内の旧御前籾囲入板蔵を改築し、役舎にあつ。 |
明治6年 | 郷内は都城県より鹿児島県に編入さる。 |
明治7年 | 吉松郵便役所発足。 |
明治8年 | 吉松郵便役所を吉松郵便局と改称。 |
明治9年 | 郷内川西柿木水流に竹中湖より用水路新設。 |
明治11年 | 郷内川西村に川西小学校を、川添村に川添小学校を設立。吉松小学校を新築。 |
明治16年 | 吉松小学校を中津川字上小路に新築。 |
明治21年 | 町村制が実施され、従来の郷を村とし、村を大字と改称、村長村会議員公選となり、初代村長に中村重安選任。 |
明治36年 |
肥薩鉄道鹿児島より本村まで開通。 |
明治42年 | 肥薩鉄道人吉、吉松間竣工により全通祝賀式を行う。 |
明治45年 | 吉松~小林間運輸営業開始。 |
大正9年 | 吉松村公設消防組発会式を挙行。 |
大正10年 |
ヒガンザクラ自生南限地を天然記念物に指定。 |
昭和7年 | 吉松橋吊式鉄橋完成、長さ85,5m。 |
昭和10年 | 吉松郵便局で公衆電報取扱を開始。 |
昭和21年 | 第1回農地委員選挙施行。 |
昭和22年 | 姶良郡吉松村立吉松中学校創立。村立高等学校設置、隼人高校吉松分教場として発足 |
昭和23年 |
商工会発足(任意団体) |
昭和24年 | 宮崎交通吉松~小林間定期バス運行開始 |
昭和26年 |
市町村長及び市町村議会議員統一選挙 |
昭和27年 | 鹿児島刑務所霧島農場真幸岡元より吉松村沢原地区へ移転 |
昭和28年 |
町制施行式典挙行 |
昭和29年 | 中鶴橋竣工式 |
昭和30年 | 柿木橋竣工式 |
昭和33年 |
鶴丸駅開業 |
昭和34年 |
鶴丸橋竣工式 |
昭和35年 | 吉松小学校鉄筋2階建校舎、8教室、気象観測室(15坪)完成 |
昭和37年 |
小学校完全給食実施 吉松停車場線完成式 |
昭和38年 | 吉松霧島線道路整備事業 |
昭和40年 | 町農業共済組合が解散 |
昭和41年 | 柿木橋竣工式 |
昭和42年 |
中鶴橋竣工式 |
昭和43年 |
2月21日、午前8時51分、午前10時45分 |
昭和45年 | 農村集団電話開通祝賀会 |
昭和46年 |
鶴丸橋竣工式 |
昭和48年 | 吉松町中央公民館起工式 |
昭和49年 |
吉松町中央公民館完成 |
昭和52年 | 川添木原に鹿児島県種豚改良協会設立開所 |
昭和53年 | 国土調査法に基づく地籍調査鶴丸から始まる。 |
昭和54年 |
吉松中学校特別教室屋内運動場落成式 |
昭和55年 |
九州自動車道木原トンネル(上り1,910メートル、下り1,905メートル)貫通式挙行 |
昭和56年 |
鶴丸生活改善センター落成式 |
昭和56年 | 九州自動車道開通(えびの~栗野間) |
昭和57年 |
上場地区コミュニティ施設完成 |
昭和59年 |
吉松町下請共同作業所完成 |
昭和60年 |
中央生活改善センター落成 |
昭和61年 |
上ノ段地区造成 |
昭和62年 |
第1回村おこし夏祭り実施 |
昭和63年 |
1月31日、JR山野線廃止 |
昭和64年 | 1月7日昭和天皇崩御 |
平成元年 |
1月8日元号が「平成」と改められる。(改元) |
平成2年 |
吉松町総合振興計画書基本計画策定 |
平成3年 |
下川西地区コミュニティ供用施設完成 |
平成4年 |
町制施行40周年記念式典、祝賀会、民俗芸能披露 |
平成5年 |
鹿児島県知事選挙 |
平成6年 |
総合体育館建設に着手 |
平成7年 |
農林センサス実施 |
平成8年 |
県営住宅(レイルタウン吉松)全工事完了 |
平成9年 |
誘致企業OAC吉松きのこセンター操業開始 |
平成10年 |
物産館オープン |
平成11年 |
一般廃棄物最終処分場完成 |
平成12年 |
急行えびの号前面廃止 |
平成13年 |
松山支区集会施設落成 |
平成14年 |
神田団地落成 |